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  • 2010.06.19 Saturday
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なぜイチローは、この男に語り続けてきたのか(Business Media 誠)

 イチロー選手は世界中にいる野球選手の中で、突出した存在だと思います。今の球界に、彼の領域に達した選手はほとんどいません。だからこそ、彼でなければ感じられないこと、彼でないと語れないことがあるんです。彼は、そういうものをボクに“体験”させてくれました。

【他の紹介写真を含む記事】

 イチロー選手と同じ時代に生き、そしてジャーナリストとして話を聞くことができる――。この仕事を選んだからといって、簡単に味わうことのできない喜びを、彼には堪能させてもらっていると思います。

――ベースボールジャーナリスト・石田雄太。イチロー選手を10年以上追いかけている彼は、2010年4月に『イチロー・インタヴューズ』(文春新書)という本を刊行した。インタヴューに費やした時間は100時間以上。イチロー選手といえばメディアに対し、あまり多くを語ろうとしないイメージがあるが、なぜ石田には胸の内を明かし続けてきたのか。一流アスリートを追いかけてきた男に、迫った。【土肥義則,Business Media 誠】

 小学3年生のときに父親に連れられて、大洋ホエールズと中日ドラゴンズのオープン戦を見に行きました。それが初めての野球観戦だったのですが、球場の熱気に圧倒されて、それからはプロ野球にのめり込みました。プレーすることよりも、観ることに興味をそそられたのです。フェンスの向こう側に選手がいて、その中に普通のおじさんたちがいた。そのおじさんたちが選手と親しげに話しているのを見て、「誰なんだろう?」と思ったんです。父親に聞いてみると、おじさんたちの正体は「記者」。すぐに「将来は野球の記者になりたい」と思いました(笑)。

 以降、「野球の記者になりたい」という気持ちは変わりませんでした。就職活動はスポーツ新聞をはじめ、球場に出入りできそうなマスコミ関係の会社をいくつも受けて、結果、NHKに内定をいただきました。入局後は、まず地方に勤務すると思っていたのですが、東京のスポーツ報道センターに配属されました。ディレクターとしてプロ野球やメジャーリーグ、大相撲などを担当させていただき、仕事が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

 しかし3〜4年もすれば、転勤するのが当たり前の組織です。スポーツのディレクターが在籍している局は東京と大阪だけだったので、それ以外のところに配属されればスポーツから離れ、事件や事故などを追いかけなければなりません。でも、ボクは報道志向が強かったわけではなく、単純に野球が観たい、野球場に行きたいというだけだったので(笑)、正直、報道の仕事にはあまり興味を持てませんでした。

 そして、実際に異動の内示を受けました。その瞬間、自分の中で「プチン」と、何かが切れてしまったのです。これでしばらくは球場に行けなくなる、野球選手のことも追いかけられなくなる……そう思ったら、辞める決断を下すしかありませんでした。

●世の中のレールから降りる人生

 NHKでは3年と4カ月働きました。中学から高校に行くことは当たり前だと思っていましたし、高校から大学に行くことにも何の疑問も抱きませんでした。大学を卒業すれば、就職することが当たり前。まさに“世の中のレール”にずっと乗っかっていた人生です。しかし、そのレールから降りても、誰からも文句を言われない現実にある意味、ショックを受けました。なぜなら極端な話、世の中、お金さえあれば働かなくてもいいってことになってしまうんですから。そんな価値観はそこまでの人生にはあり得なかったし、あの時期は仕事って何のためにするんだろうというようなことばかり考えていました。

 ブラブラした生活を6カ月ほど送りながら、「どこか他の会社に入ろうかな」なんて甘いことを考えていました。でも、自分の好きなことばかりをさせてくれる会社なんてありません。このロジックだと、きっとまた会社を辞めなければならなくなる。そんな悶々とした日々を送っていたときに、NHKの元同僚や他局の知人から「単発でテレビの仕事をしてみないか?」という声をかけてもらいました。貯金も底をついてきていましたし、それならと、フリーの立場で仕事をさせていただくことにしたのです。

 1つの仕事が次の仕事につながって、いつしか食べることには不自由しなくなりました。そして「どこかの会社に就職しなくても、こういう形で生きていく方法があるんだ」と思うようになりました。そこからフリーの生活が始まったのですが、当時はスポーツ情報番組を手掛けるフリーのディレクターがほとんどいませんでしたし、NHKでは原稿も自分で書くのが当たり前でしたから構成作家の仕事もこなすことができました。きっと、隙間を埋める存在として、重宝がられていたんだと思います。

●自分の中で熟成させて、“書く”から“描く”

――石田がイチロー選手に初めて取材したのは、1996年の秋のこと。その年のオリックスは巨人を破り、日本一を手にした。

 イチロー選手の第一印象ですか? 想像していた姿と違って、とてもはじけたキャラだと思いました。大きな声で笑ったり、しゃべりながらの動作が大きかったり、感情の表現がものすごく素直だったり……メディアを通じた印象から、彼は気難しいタイプだと思っていたので、素直でとにかく明るいという実像が意外でした。彼は、一緒にいるとこちらも元気になるようなテンションを持っていました。

 イチロー選手のことを初めて書いたのは、1999年のこと。最初の取材からアウトプットするまで、3年ほどかかりました。それは、ボクの中での熟成期間が必要だったからなのかもしれません。これはイチロー選手に限ったことではなく、桑田真澄さんを取材したときもそうでした。桑田さんとはNHKで働いているときに出会ったのですが、彼のことを書こうと思ったのはそれから7年目のことです。彼は1994年に胴上げ投手となり、MVPを獲得しました。その翌年、発表媒体をとくに決めないまま、彼を追いかけ始めました。しかし桑田さんはシーズン途中でケガをしてその年は投げられず、1996年はリハビリの生活。その間、ボクは桑田さんとかなりの時間を一緒に過ごさせていただきました。

 そして1997年に『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社文庫)という本を世に送り出すことになりました。取材をしたらすぐに書くのではなく、もっともっと自分の中で熟成させて、“書く”から“描く”という次元に昇華させたいというのは、今も変わらずに持ち続けている想いの1つです。

●自分の進むべき“細い道”

 2000年、36歳のボクはイチロー選手を追いかけつつも、2年目の松坂大輔選手や、桑田さんの取材をしていました。取材対象に野球の選手が増えてきて、野球を取材する機会は増えていたのですが、シドニーオリンピックまでは陸上や柔道、他にもラグビーやサッカー、モータースポーツの取材などもしていました。

 いろんなジャンルのスポーツを取材していたのにはワケがありました。NHKのディレクターだったとき、「お前は野球の専門家になるな」「人を描くためには専門家になりすぎてはいけない」と先輩方にアドバイスしてもらってきました。その言葉に納得して取材を続けていたのですが、取材対象者を描こうと思ったら、「自分がそのスポーツを理解していないと、彼らのほんとうの想いは描けない」と感じるようになってきました。

 野球以外のスポーツを取材するときには、スポーツそのものの“勉強”が必要でした。そして一夜漬けで話を聞き、知らないことについては質問し、今思えば知ったかぶりの原稿を書いていたように思います。野球選手には「自分の言葉が届いているな」「相手の言葉が自分の腹に落ちているな」と感じていましたが、野球以外のアスリートの方々に話を聞いても、その言葉を咀嚼(そしゃく)してきちんと原稿に表現できているという手ごたえがありませんでした。やがて野球以外のことを書くことに、“限界”のようなものを感じるようになっていきました。

 シドニーオリンピックが終わり、イチロー選手がメジャーへと挑むことが決まってからは、野球の取材が中心となる生活を送ることになります。結果的には、シドニーが自分の中での区切りとなったのかもしれません。いつしか、ボクは自分が好きな野球だけを追いかけていこうと腹をくくっていました。ボクにとっての36歳というのは、自分の進むべき“細い道”を、見つけることができた年だったように思います。

●ボクが見た1年目のイチロー選手

 そして2001年、イチロー選手はメジャーリーグへの道を選びました。ボクも彼の取材をするために米国と日本を何度も往復したのですが、その渡米に際しては、一切、仕事の約束をしないようにしていました。なぜなら、経費をもらってアウトプットを前提にした取材を引き受けてしまうと、必ず焦りが出て、相手にそれが伝わると思ったからです。メジャー1年目のイチロー選手が自分のことで必死なのは当然だと思っていたし、目先のことを優先するよりも長い目で考えたほうがいいと判断したのです。話をしたくないということであれば聞かなくてもいい……ただ近くで見ているだけでいいと思っていたのです。だから、こちらから何かをお願いするということを、1年目には極力、しなかったと思います。「ボクはイチロー選手を見るんだ、できるだけ近くで見るんだ」――徹底してそういうスタンスを貫きました。

 もちろん、食事に誘ってもらえれば、一緒に行きました。そのときも、野球の話では気が休まらないからと、他愛もない話が多かったように思います。ただ、彼のほうから野球の話をしてくれることはありました。そういうときでも、聞いた話はすぐに書きません。これは今でもそうですが、どの話を書いて、どの話は書くべきではない、という見極めはとても難しいと思います。

 原稿を書かなければいけない……となると、どうしても次から次に質問をしなければなりません。しかしそうなると、選手にしてみれば鬱陶(うっとう)しいと感じることが増えるでしょう。だからボクは、自分の中の義務感を排除しました。事前に原稿を書く約束をして、経費などを負担してもらうと、それが結果的に自分のクビを締めることになるかもしれないと思ったのです。

 すると、1年目のシーズンが終了したその日、イチロー選手の方から「インタビュー、いつやろうか?」と切り出されました。とても驚きましたが、同時に、胸がドキドキと高鳴ったことを今でも覚えています。彼は、ボクが1年間、話を聞こうとせずにただフィールドの姿を見続けようとしていたことを分かってくれていました。

 その成果をまとめたものが、2002年に出版した『イチロー、聖地へ』(文春文庫)という本です。これは、イチロー選手の1年目を総括したのではなく、“ボクが見た1年目のイチロー選手”というところにこだわって描いた作品です。あくまでも、自分が実際に見たこと、聞いたこと、感じたことを綴りたかったのです。

●インタヴュー前の心の準備

 イチロー選手に取材をする前の夜は、気持ちが高ぶります。1時間のインタビューであれば、準備のために、まず6つの小見出しを掲げてノートに書き込みます。そして小見出しごとに5つずつの質問を考えます。インタビューがどのように流れていくのかをイメージしておいて、実際にイチロー選手を前にしたら、ノートは閉じます。あとは彼の言葉に、自分がどのように反応できるのかということだけに意識を置いています。聞きたいことを聞いて、納得できたら、次のことを聞く。質問項目を順番に聞いていくというのではなく、彼のどの言葉に自分が引っ張られるのか、引っ張られたら彼の答が腹に落ちるまで突き詰める、ということに気を遣っています。

 イチロー選手は、質問を最後までしっかりと聞き取ろうとします。今、何を聞かれているのかということを自分なりに把握してから答を探すので、質問の語尾が曖昧(あいまい)になると、聞きたいことからずれた答になってしまうことがあります。だから、質問は語尾までを曖昧にすることなく、正面からぶつけなければなりません。また、彼はたくさんの取材を受けているので、メディアが何を言わせたいのか手にとるように分かっています。なので予定調和のやりとりは成立しませんし、質問のための質問というのは見抜かれてしまいます。その分、聞き手は、本当に自分が聞きたいことは何なのか、ということを事前に反すうしておかなければならないと思います。

 あるとき、ちょっとした行き違いから、お互いがインタビューの日にちを勘違いしていたことがありました。ボクは今日だと思っていたら、イチロー選手は明日だと思っていた。どうしようかと相談したら、彼から「今日は心の準備ができていないので、無理です」という答えが返ってきました。この言葉を聞いたときは、ちょっぴり嬉しかったです。イチロー選手が、インタビューを前に心の準備をしてくれているんだ……と(笑)。

 取材を始めてから16年が経ちましたが、ボクはイチロー選手に対する興味を失っていません。なぜなら彼は、そそられるだけのパフォーマンスを発揮し続けているからです。グラウンドにいる姿を見ていると、いまでも聞きたいことが溢れてきます。自分のプレーを言葉にできるということは、そこに何らかの意図があるから。逆に言うと、意図のない選手は言葉が尽きてくるのかもしれません。イチロー選手は常に意図を持ってプレーしているのが分かるので、話を聞きたくなります。そして聞けば、驚かされる。その繰り返しです。

●マニアックな読者が喜んでくれれば

 NHKを辞めてブラブラした生活を送っていたときに感じていたことは、いまでも心の中に残っています。それは仕事というのは「会社のために」「誰かのために」「楽しみのために」するものではなく、自分と家族が生活するためのものなんだ、ということ――。そこを突き詰めることが、結果的に、世の中に必要とされる仕事や、世の中の人が喜ぶ仕事につながっていくのではないか、と思っています。

 本を書くときに読者のことを考えると、「何を書けば喜んでもらえるのだろうか」というベクトルに向かってしまうことになります。その答を見つけるのは、至難の業です。それよりも、自分が面白かったことや驚いたことを表現する。もちろん「石田って奴は何を書いているんだっ!」という反応もあれば、「石田の書いたものは面白い」という意見もあるでしょう。それでいいと思っているんです。すべての読者を満足させようと思うと、間口を広く、中身も浅くしなければなりません。テレビの仕事をするときにはそういう方法論がありますが、野球専門誌の場合は、自分が興味を持ったものを書き続けていくことが大事だと考えています。その結果、マニアックな読者が喜んでくれれば、こんなに嬉しいことはありません。

 もちろんこれからも、野球場に足を運ぶつもりでいますよ。気になる選手が、たくさんいますからね。(本文・敬称略)

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